辞世の句について
辞世の句、というものがある。あらかじめ詠んでおき近親者に託しておくか、懐に忍ばせておくものであったことだろう。本当の今際の際に詠ことは、心も千々に乱れ、名歌を残すことは難しかろう。推敲する隙もあるまい。
死という最もドラマチックかつ最後の見せ場である場面で、自らの教養の高さをアピールするための、最高で最後のパフォーマンス。
私もそれなりの辞世の句を残したいものである。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
(散るべき時を知っているからこそ世の中の花は花として美しい。人も然りである)
花ぞ散る 思へば風の 科ならず 時至りぬる 春の夕暮
(花は散るが、思えばそれは風のせいではなく、ある春の夕暮れにただ散るべき時に至ったからに過ぎないのだ)
かえらじと かねて思えば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる
(梓弓で射た矢のように、生きては帰るまい。この世に名は残し、死者の仲間入りをしよう)
読書感想文『宿澤広朗 運を支配した男』加藤仁 著
ラグビー日本代表監督にして、三井住友銀行 取締役専務執行役員。二足のわらじを見事に履きこなした宿澤広朗の伝記。
ラガーとしての宿澤についての本はいくつかあるが、バンカーとしての宿澤にもしっかりページを割いたものは本書くらいのものだろう。
「銀行員」といってもいわゆる営業店での貸付ではなく、ロンドン支店でディーリング業務に携わったり、企業へのアドバイザリー部門を立ち上げたり、大阪本店営業本部長として松下電器産業とのタフな交渉にあたったり、史上最速クラスで役員に昇進する等、輝かしい経歴の宿澤。しかし、具体的なエピソードをうまく組み立てられているので、ピカピカの経歴の裏にある労苦が血となってページとページの間からにじみ出てくるようである。
勝ちにこだわり、人並み外れた努力を重ねた。宿澤。なぜここまで勝ちにこだわることができたのか、筆者なりの分析とその論拠が示されているのがよい。
偉人が成したことを賞賛することはたやすい。しかし大切なことは、偉人の生き方を自分の生き方の参考にすること。そのためには、偉人がなぜそうしたのか、どのような動機でそうしたのか、を知る必要があると思う。その意味でも、本書は宿澤の行動や成果のみならず、そこに至るまでの思考や経緯が、分析を織り交ぜながらしっかり書かれている。
心に残った箇所をここに残します。
努力は運を支配する
善戦でおわってはいけない。勝たなければ駄目だ。
“絶対に勝て”とか“死ぬ気でがんばれ”とか言うのは比較的やさしいことである。また、そのような言葉で選手の気力を向上させることも容易な場合がある。しかし本当に必要なことは“絶対に勝て”ということより“どうやって”勝つのかを考え指導することであり、“がんばれ”というなら“どこでどのように”具体的かつ論理的に“がんばる”のか指示することではないだろうか
商売は戦いである。戦いには勝つことのみが善である
チャンスだ、と皆が騒いでいるときは遅い。それでは儲けが薄い。それ以前の潮目の変わりどきを見ろ
リスクをとれる強気な人間は数十人に一人くらいです。その強気な人材を発掘するのが、私の部長としての仕事です
(ライブドアは)グレーな部分を攻めて収益をあげている(中略)競技スポーツでも、勝つためには、それがポイントです。そこまでやる。やるけれども、ルールで決められていない部分なのだから、「フェアプレイの精神」でやる。頂点での争いは、勝か負けるかの差がほんのわずか、むしろないに近い。グレーゾーンにもこだわるということは、それだけ競技を知り尽くすということでもあり、勝つためのこだわりです。言い換えれば、万全の準備というのはそこまでの広い対応をしておくことで、成し遂げられることだと思います
安くておいしい箱ワイン(タヴェルネッロ ロッソ イタリア)
「箱ワイン」というジャンルのワインがあります。
ビニールバッグにワインが入っており、バッグに付いている小さな蛇口からワインをお好みの量だけ注いで飲める、というものです。
今回、Amazonで評判の良い「タヴェルネッロ」というブランドの箱ワインを買ってみました。3リットルで1,874円。750mlのボトル換算で469円。これは安い。定期便ならさらに10〜15%も安くなります。
テイストのほうはというと、飲みやすいライトボディ。渋み控えめでフルーティー。日常用のワインとしては悪くありません。この品質と価格なら、リーズナブルといえるでしょう。しばらくは、我が家の常飲用ワインの地位を占めそうです。
愛飲していた西友の「オークリーフ」が値上げしてからというもの、格安ワインからは遠ざかっていましたが、この箱ワインのおかげで、また格安ワインを楽しめそうです。
【世界NO.1イタリアテーブルワイン】 タヴェルネッロ ロッソ(バッグ イン ボックス) [ 赤ワイン ライトボディ イタリア 3L ]
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映画「闇金ウシジマくん」の感想――狂言回しに求めらるものと「うまい演技」とは
Netflixで映画版の「闇金ウシジマくん」を鑑賞しました。
アウトローを描く映画は嫌いではないし、退廃的な雰囲気も好みです。
感想を2点ほど書きます。
狂言回しの役に求められる人物設定
今回も主人公はあくまで闇金の債務者たちが演じ、山田孝之演じる丑嶋は、いわゆる狂言回しの役回り。これはドラマ版でも踏襲されてきたものです。
ブラックなドラマの狂言回しなので、いわば、現代版の『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造のようなものです。
狂言回しのキャラクターは、どのようなストーリーでも対応できるよう、汎用的な人物設定がされる必要があると思いました。各ストーリーのどの主人公たちとも自然に関わりが持てるような人物設定ではなくてはならない。
丑嶋が寡黙なのは、迫力あるキャラクターとしたことと同時に、できるだけ汎用的な人物設定をしたからなのではないでしょうか。
「うまい演技」とは
助演の大島優子の演技がうまい。19歳のニートの少女で、母親がギャンブルで作った借金の返済に追われる役回りです。しかし、演技がうまいとはどういうことなのか。以下のいずれかなのではないでしょうか。
本物の19歳のニートの少女の知り合いどころか、19歳の少女の知り合いがいない私からすると、上記「1.」と照らし合わせて「演技がうまい」かどうかを計ることはできないはずです。よって、上記「2.」の通り、私が想像する19歳のニートの少女のイメージに照らして、「演技がうまい」と思ったのでしょう。
私は中学生時代、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』で中学生役を演じていたえなりかずきの演技に違和感を感じていたのですが、世のおばさまたちが「えなりくんは演技がうまい」と絶賛していることにそれ以上の違和感を持ったものです。おそらくは世のおばさまは本物の中学生とえなりくんの演技を照らし合わせたのではなく、彼女たちが想像する中学生像をうまくなぞったえなりくんの演技に拍手を送ったのでしょう。
これからは、人の賛辞に第三者として触れる際は、彼・彼女がどのような評価基準で讃えているのかに注意したいと思います。